松前線 とは(概略)
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松前線 とは(概略)
北海道、函館の西約25kmにある「木古内」駅を起点とした鉄道で、1953年(昭和28年)11月8日に松前駅までが開通。全長50.8kmであった。
松前線沿線には古都「松前」があるが、これ以外に目立った観光地は無く、また、漁業以外の大きな産業もなかったことから、「地方ローカル線」域を脱することは無かった。昭和40年代初めまでの一時期、設計中の「青函トンネル」が松前線に接続する構想もあったが、新幹線も通れる規格に変更され松前線接続が無くなった為に「幹線」への転換は幻となっている。
これ以降、自家用車・トラックの普及で松前線の相対的地位は低下し、1982年(昭和57年)には第2次廃止対象特定地方路線に指定されるに至った。
沿線流動の特色として「対函館」が大きなウェートを占めていた。このことから、松前線の乗車距離は比較的長く、乗車距離による廃止基準に対し、基準年を変更することでこれをクリア出来ていたのである。また「対函館」で乗り入れる「江差線」と比較して、木古内・松前間は、木古内・江差間よりも営業成績は良く、路線名のみで区切られた、実態を表していない数値での廃止検討そのものが納得できないとする根強い反対論もあり、廃止問題を協議する「協議会」を一時的に中断させることに成功させる等、特異な展開を見せていた。
しかし、次第に廃止基準の数値を越えられなくなり、やむなく、バスへの転換を受け入れ、1988年(昭和63年)1月31日をもって最終運行、翌日に廃止された。松前開通後僅か35年しか運行されなかった短い生涯の路線であった。
なお、「未成線」部分として、松前より先約24kmが計画され、一部に工事跡が残っている。これは戦時中、軍部が松前より先の地区にある鉱山から、マンガンなどを輸送する目的で建設が進められていたが、戦争末期の資材不足等から他の優先路線に資材・労働力が移され、建設工事は中断した。戦後、この区間は工事再開されることは無く、昭和40年代後半に、国道のバイパス用地として多くが転用された。
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駅名 | 電略 | 営業km | 開業日 | ホーム | 備考 |
木古内 きこない |
セカキコ | 0.0 | -- | -- | -- |
森越 もりこし |
セカリコ | 5.2 | 1937年(昭和12年) 10月12日 |
単式1面1線 | |
渡島知内 おしましりうち |
セカシウ | 8.2 | 1937年(昭和12年) 10月12日 |
島式1面1線 | *1 |
重内 おもない |
-- | 11.3 | 1962年(昭和37年) 12月25日 |
単式1面1線 | |
湯ノ里 ゆのさと |
セカユサ | 17.0 | 1938年(昭和13年) 10月21日 |
単式1面1線 | |
千軒 せんげん |
セカセケ | 24.2 | 1938年(昭和13年) 10月21日 |
島式1面2線 | *2 |
渡島福島 おしまふくしま |
セカフク | 33.2 | 1942年(昭和17年) 11月01日 |
島式1面1線 | *1 |
白符 しらふ |
-- | 35.9 | 1957年(昭和32年) 01月25日 |
単式1面1線 | |
渡島吉岡 おしまよしおか |
セカヨオ | 38.7 | 1942年(昭和17年) 11月01日 |
島式1面2線 | |
渡島大沢 おしまおおさわ |
セカオワ | 45.2 | 1946年(昭和21年) 12月15日 |
単式1面1線 | |
及部 およべ |
-- | 48.0 | 1957年(昭和32年) 01月25日 |
単式1面1線 | |
松前 まつまえ |
セカマエ | 50.8 | 1953年(昭和28年) 11月08日 |
単式1面1線 |
*2 1972年(昭和47年)3月15日「碁盤坂」より改称
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