松前線跡(廃線跡)をめぐる3
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松前線「松前線跡(廃線跡)をめぐる3」
*1998年4月20〜23日撮影
【渡島大沢駅跡】
駅跡から松前方面を望む。ホームがしっかりと残っていました。

【櫃の下川橋梁】
ヒジノ下川を渡る、渡島大沢から松前に向かって最初の鉄橋。こちらも道路をまたぐ部分は撤去されています。
写真提供:函館在住の吉田様より。撮影時期不明。

【及部駅跡】
写真中央の黄色い旗が立っている辺りが駅の中心と思われます。

【松前城の下を通っていたトンネル】
松前側の入口。既にコンクリートで塞がれていました。

【松前駅跡】
舗装道路が線路のあったところです。駅舎は残っていませんでしたが、写真の左に伸びる道路付近にありました。

【松前駅貨物ホーム跡】
このホームは原口方面よりに作られていた貨物用の跡と思われます。旅客ホームは1車両分写真左の道路寄り、街灯のある辺りにありました。
右に写っている建物は駅前の商店で、お土産があったり、海を見ながら軽食が出来たりした記憶があります。

【松前駅記念碑】
駅の入口に位置していました。以前は記念碑だけでしたが、左に記念碑の説明が設置されていました。
北海道最南端の町
日本最北の城下町松前駅は昭和二十八年中より爾来仏天の援護と大方の援助とにより地鎮起工 上棟へと着着工程を進め同年十一月八日の仏赦吉日を以って路線に第一号の蒸気機関車を見るに至り 結梼依頼二十五有余年の星霜を閲しなお輪奐の美衰えざりしに維持し 昭和五十三年五月十七日より 松前郡松前町 河野石材店石匠 施工の基にこの碑を建立
最南端松前駅の記念碑について
国鉄松前第十三代大森昇一郎駅長 職員をはじめ多くの町民からサクラとお城のほかに何か名物が欲しいと声が高まり 松前駅の表玄関に相応しい観光松前の発展を願ってこの碑が建立されたものである
記念碑建立者
松前郡松前町字豊岡二五六
浄土宗 護念山 正行寺
第二十五世 葛西辰瑞
高さ 二、一メートル 奥行 一、六五メートル 台座 一、八メートル
土台にはレールと動輪をかたどった石がはめ込まれる
文字は 中城 健 (青函局長)筆
昭和五十三年六月二十四日除幕
*1999年7月撮影(説明分は写真から読み取りましたので、漢字が間違っている可能性もあります)

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